日々の記録

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儒学の講じ方

友人のなかには経典の一字一句を大事にし「正確」な読みを心がけるものがいるが、

もし後学に儒学を講じるのであれば、そのような読解に拘泥するのは誤りである。

 

儒学の経典は兎角難解である。

難解なものであるために世人に理解されず聖人の道を皆が歩むことが出来ないでいる。

 

であるのに、難解な経典を難解なまま説明してしまってはいつまで経っても聖人の学は世に広まらない。

 

もちろん精緻な読解は自らの学習過程において必要欠くべからざるものであって、

学習者に求められればそれも説明できてしかるべきである。

 

しかし、孔子や陽明先生のように、学習者に応じて論じ方は変えねばらならない。

「分かること」を第一とするべきなのである。